継続は力なり(長いよ!!!!)

思えば俺の中で全てがあの時から変わった気がする 


そんなの俺だけじゃないし

大した被害も受けてない俺が

エラそうに思う事でもないかもしれない


あれから1年、いろんな人がいろんな事を今日は書いたりすると思うけど

そのどれもが本当の事で


いろいろな考えや物事のとらえ方の一つだとさらっと流してもらえればいいかな

めちゃめちゃ長くなっちゃったけどね





ちょうど1年前

それは、RAVEN WHISTLER TOURの前日

3.11.

はじめは、中越地震の時と同じ感じだった。

「遠くで大きな地震だ!!」


でも、それは終わらなかった


揺れは続き


さらに強く



とにかくお店の入り口を開けてみたが

ご存じのとおりこの細い路地の向こうは巨大な壁(^^ゞ

「今、外に出た方がやばい」

「でもこの店も古いし・・・」

そんな事を思った記憶がある。


少し落ち着いて外に出てみると

靖国通りに人がわんさか


高層ビルの建設用のクレーンがいつまでも揺れているのを見上げていた


小川町広場には見たこともないくらいの人が集まってきた


小川町広場は広域避難所ではないってこの時知った



この街でも色々な被害が出ていた

知る人ぞ知る「ラーメンエイト」

このビルの壁が部分的に剥がれて歩道に落ちた
結局、耐震工事の為、閉店

九段会館の天井が落ちて2人の方が亡くなった

神田警察署の隣の東京電機大学の校舎は

屋上から地面まで縦に亀裂が入って非常線が張られてた



街を一通り見て回ってお店のTVでニュースを見る


事の重大さがだんだんと理解出来てきた


「まず家族の確認」

なぜかこの時はすぐに連絡が取れた。


次は、お店の確認

ガンプラの百式が落ちただけ


壁も天井も棚も大丈夫そう


お客さんも心配

twitterだけは生きてたから

何かつぶやいたと思う


このころさっきまで1台も車がいなくなってた靖国の渋滞は始まっていた。


明日からWHISTLER TOUR

行けるのか?

参加者と旅行会社につながらない電話をかけ続ける

参加者は全員無事

全員の意思でTOUR決行!!

しかし、飛行機飛ぶの?

誰もわからない

とにかく明日、成田空港に行くしかない



余震が続く



日が暮れても

渋滞は動かず

このころやっと自分がプチ帰宅困難者だと気がつく



TVでは津波の映像


ワカから着信あり

たぶんワカの事だから心配してかけてくれたんだと思う

折り返すが通じず


この間もいろんな人と連絡の取り合い

幸いにも大きな被害にあった人はいない


あの時、心配して電話やメールくれたみなさんありがとうございました。


本当は、1人でものすごく心細かった




渋滞を見て「今日は帰れないな」と腹を決めた

いろいろとツアーの準備

気持ちは複雑

地震や津波の被害がわかればわかるほど

こんな時にツアーなんてやってていいのか?

常にこの思いが頭をよぎる

今思えば正気ではなかった(俺だけじゃないか)


でも、参加者のみんなからしたら

一生に一回きりのWHISTLERに行くチャンスがないかもしれない

そのチャンスをつぶすわけにはいかない


そして、継続は力なり

俺の信条

続ける事が大事なんだって

そう自分に言い聞かせた




twitterではいろいろな情報が

靖国通りでは帰宅困難者の行列が深夜まで続いていた。

どうせ店にいるなら休憩くらいはできるし

飲み物もあるからと

ツイートしておいた


何も残っていないコンビニ

食べ物がない・・・・

会社員の人たちがたくさん買い込んで行ってたな

そういう事か

あぁ~はらへった



でも、飲み物もあるし

電気や水道も止まってない

TVの映像から見れば良い方だと思った



少しでも仮眠しようとしたが無理だった



そんな、夜中にまた大きな地震が・・・

震源地は新潟県十日町

新潟????

「日本はどうなっちまうんだ」って本気で思った


十日町はワカのいるところ

ライダーの中でワカとだけこの時点で連絡が取れてなかった

心配して電話くれたのに・・・・・

すぐに電話してみるが

この時もまだ電話は不通状態


心配だけが夜中に頭の中を埋めていく


早朝5時に携帯のナビで渋滞を回避しながら

知らない道を家に向かって走り続ける

5時間かかって到着

アッコもPOLCOも家も大丈夫


そのまま荷物を積んで

アッコとPOLCOを成田の方のアッコの実家まで乗せて行って

そこから電車で成田空港へ

なんとか集合時間には間に合った



その間もずっと電話とメールの嵐

案の定、空港についても事態は混乱を極めていた

飛行機が飛ぶかどうかなんて誰にもわからなかったんだし

震災当日のフライトキャンセルになった人たちが

毛布をもらって出発ロビーに沢山

みんな、さぞ不安だったと思う


しかし、とにかくあの状況で全員が集まれた事は奇跡にも思えた


そんなころやっとワカと連絡が取れた。

無事だった

そんなワカが

「日本がなんか暗い感じだから はっちゃけて毎日楽しいBlog書いてください」って

この一言でどんだけ気持ちが楽になったか


とりあえず飛行機は飛ぶみたいだし

とにかくみんなに楽しんでもらおうって



本当に楽しいツアーだったし

リフトやゴンドラでは外人にやたら励まされた


でも、TVやネットで被害の情報を知ると

やっぱり複雑だよね

「俺たちだけ楽しんでていいのか?」って


しかも、日本のTVでは放送してないような映像も流れてるし



それだけじゃない

これからお店、仕事は大丈夫かな?って

気がつくの遅いよね、俺


案の定、ツアー後の仕事はひどいもんだった

ま、しょうがないよね

スキー場は営業終了だし

原発の問題も深刻だし


もっと大変な目に会ってる人はたくさんいるし

嘆いててもしょうがない


だから被災地の人のために

今、出来る事をやろうって



みんなに声をかけたら

段ボールが足りないくらいの支援物資があっという間に集まった

お店の中が段ボールだらけ(^v^)

本当にいい人たちがたくさん集まってくれてるんだなって

こんなにうれしい事はなかった

現地に行ったりすることはできなかったけど

少しは役に立てたのかな



夏には銚子の復興イベントに誘ってもらった

道中、この前の年にBBQをやった飯岡海岸を通ってもらった


古い建物は全部なくなってた


千葉県の外房も津波の被害が結構出ていた。

あまり知られてないみたいだけど・・・・


銚子マリーナもクラブハウスは震災の時のままだった




フェンスはなぎ倒され

壁を津波が突き破って行った

そのままだった

5か月たってたのに・・・・・




そして今、

あの日から1年

厳しいながらも仕事をさせてもらってる

本当に厳しい1年だった。

まだまだ、元の状態に戻るには時間がかかると思うけど

継続は力なり!!!!


そう、継続する事が力になるんだ


そして、今年は改めてSNOWBOARDの楽しさをかみしめてます

まだまだ終わらないSNOWLIFE

誰よりも俺が1番楽しんでやるぜ!!!!

継続する事でねww


それぞれにとっていろんな1年だったと思う

受け止め方も違えば

消化の仕方も違う

人それぞれの1年間

でも、そんないろんな人たちがつながってこの世界はできている

みんながお互いのことを思いやり

助け合って

これからも前に進んでいこう!!!!



今回の震災は当然まだまだ終わってはいない

何かできることと言えば、、、

募金が一番わかりやすくていいのかな

今日からまた募金箱を設置しますね

共感していただけたらちょろっと入れてください。




最後に

まだまだ震災による傷は深く

将来が見えてこない部分もたくさんあります。

これだけ多くの方の命を失いました。

ご家族、関係者の皆様

心よりお悔やみ申し上げます。


皆様に本当の笑顔が一刻も早く戻ってくる事を

心から願っています。



俺たちが滑ることでそのお手伝いができれば本当にサイコーですね




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